写真の言語化がなぜ大切か

先日、訪れた建築家の先生に作品をとてもほめていただいた。

ハイライト部の和紙の風合いと、不思議な花の描写が先生の琴線に触れたよう。

最近、自分の作品の表現を言語化することの難しさと楽しさを感じている。
そんな時、多くの知見や経験をもっている方からの批評は本当にうれしい。
以前、NOTE記事に写真の言語化について少し触れたことがある。
見返してみると記事は二つあった。もう一つはこちら

写真は、見て楽しむもの。
だけど、それだけじゃない。
感じることが大切。
感じるてもらうために、言葉で伝えることがいかに重要か。
自身の作品を言語化するということは、自分の中で作品を論理的に整理し、落とし込むという作業。
作品を購入してもらい、長く愛でていただくためには大切なプロセスだと考えている。

自分の作品をただただ、頬をなでる風のようにふわりと感じてもらいたいだけなら言葉はいらないのかもしれない。

しかし、自身の作品と鑑賞者や世間とのかかわりなどと対峙したいと考えたとき、自分の言葉で作品を語れるということはとても大切だと、痛感するのだ。

 #花の貌

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